2021年6月1日火曜日

2021年6月の聖句

聖 句

 

 「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(新約聖書マタイによる福音書316節)

 

戸畑天使園 園長  江夏 國彦

 

 教会では、6月はイエス・キリストの慈悲深い心を祝います。今年は、6月11日(金)がその日に当たっています。「イエスのみ心の祝日」と言います。キリストが人々の罪をゆるし、心と体の病を癒し、希望と喜びを与えられたこと、そして最後は受難と十字架の死によって人類を贖い、救いへの道を開いてくださったことを思い起こします。キリストの全ての言葉と行いは、天の父なる神と一致して、人々に対する無限の慈悲と愛が、現代に於いても働いていて、多くの人々に生きる力と希望を与えておられるのです。

 

 聖書を通して、キリストの言行を知る時、自分の命を与えるほどの慈悲深さは、父なる神との一致した心であったからこそ、なし得たのであり、その人類への愛は、父なる神の愛でもあったのです。今月の聖句にあるように、父なる神は、その独り子(イエス)をお与えになったほどに世を愛されたのです。だから、イエスのみ心の祝日は、父なる神のみ心を思う日でもあります。

ルルドに咲いた金糸梅

 人生には、困難や苦しみは付きものです。個人的な苦しみだけでなく、世界で起きている様々な難しい問題とどのように向き合うのか問われています。新型コロナウイルスとの戦いと生活苦、いくつかの国々で起きている政治的対立による命をかけた戦い、地球規模で起きている環境破壊などの多くの問題がある世界情勢の中に私たちは生きています。世界のどこかで悲惨な出来事が毎日のように起きている現実を前にして、多くの人々にとって神の愛など考えるのは愚かなことでしょう。しかしキリストは、まさにこのような苦しみの真っ只中で、今も私たちと共に、世界の人々と共に苦しんでおられると、キリスト者は信じているのです。

 

 「閉鎖的なナショナリズムは、個人主義のウイルスの変異種です。」とフランシスコ教皇は指摘しています。生きてゆくのに精一杯の毎日を送っている者にとって、神の存在など考える余裕もなく、無意識のうちに自分の中に出来上がった神イメージを抱いていて、神はどこか遠くで関わりがあるかもしれない、という程度にしか考えていないのかもしれません。しかし、聖書が教える神は、何か悪い事をしているのではないかと何時も天から見下ろしておられる方ではなく、私たちと深く関わり、苦しみにある人と共に苦しみ、慈悲深く、ゆるし助け導き、育てておられる方なのです。私たちの神理解が深まり、人生の真ん中にあって、共に生きてくださる身近な方となれますようにと願っています。そのための「キリストのみ心の祝日」が多くの人々にとって、人々の苦しみを理解するために意義ある日になりますように。

 

2021年5月1日土曜日

2021年5月の聖句

聖 句

 「わたしの魂は主(神)をあがめ、わたしの霊は、救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、このはしためにも目を留めてくださったからです。」(新約聖書ルカによる福音147-48節)


戸畑天使園 園長  江夏 國彦 

  カトリックでは、新緑と花々が咲き乱れる美しい季節を迎える五月を、聖母マリアの月と呼んでいます。この月には特に聖母マリアに尊敬と祈りを捧げるのです。 聖母マリアの心がよく現れている「マリアの讃歌」と言われる聖書箇所(ルカ福音書14655節)は、全世界のカトリックの人々によって、季節を問わず、毎日のようにどこかで唱えられています。 


 マリアは、ユダヤの国のナザレという小さな町に、父、ヨアキムと母、アンナの間に生まれました。神からのお告げがあった時、すでにナザレの大工であったヨゼフと婚約していました。ですから、彼女は、平凡で幸せな家庭を築こうと夢見ていたと思います。そのような時期に、ある日突然、救い主(イエス・キリスト)の母となることを神からのお告げを受けたのです。だから、驚きと戸惑いのなかで、歌った讃歌です。しかし、彼女は謙遜な心で神の御旨を受け、またその誉れある使命を受けたことを人々と共に喜び、その御旨を忠実に果たすための決意を胸に秘めて歌ったのです。 マリアが救い主の母となられたことは、彼女の誉れであると同時に、私たちの大きな喜びです。何故なら、マリアを通して、救い主が生まれ、その御子によって人類の救いがもたらされたからです。

 マリアの生き方で、心に留めておきたいことは、彼女が、神のみ計画を全面的に受け入れ、協力し、生涯を神の御旨のために生きられたことです。「この主のはしためにも目を留めてくださった」と歌っているように、彼女の謙遜さが現れています。そして、これから築こうとしていた小さな幸せな家庭という自分の夢よりも、神から受けた使命、神の御旨を果たす道を選ばれたのです。彼女の心のなかでなされた決意は、人類の救いにおける大事な瞬間でした。 この生き方があったからこそ、聖母の偉大さも、清らかさも、美しさも、人々への優しい心遣いも輝きいでているのです。


2021年4月1日木曜日

2021年4月の聖句

聖 句 

 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。あなたがたが出かけて行って実をむすび、その実がいつまでも残るためである。・・・わたしがあなた方を任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(新約聖書 ヨハネ福音書1516-17節) 

 戸畑天使園 園長  江夏 國彦  

  ご入園、おめでとうございます。入園児も、親御さんも喜びいっぱいのことでしょう。沢山の出会いがこれからあるからです。私たちは皆、出会いと別れを繰り返しながら成長してゆきます。 

出会いについて考えると不思議な思いになります。夫婦の出会い、生まれてきた子との出会い、お友達との出会い、先生たちとの出会いなど、沢山の出会いがあります。どの出会いも大切にしたいものです。神様を信じる者にとっては、どんな出会いも偶然ではなく、神様の計らいの中で起きていると信じています。なぜなら、もし、偶然であると言うなら、神様も知らないことが、自然の成り行きで起きた事になります。神様が知らないことが在ると認めることは、全知全能の神を否定することになるからです。私たちは、神様は全てのことをご存知であると信じているのです。神様の知らないこともあるというなら、そのような神さまは神さまではないと考えているのです。

戸畑天使園 園庭

しかし、キリスト教は、あらゆることが初めから定められているという宿命論を主張するのかと言うと、そうではありません。神様が知っているという事と神様の思い(計らい=計画)は区別しなければなりません。そして神様の思いと人間の思いは違います。神様の計らいは、人間の思いを遥かに超えた神秘なのです神様の計らいの全容を知ることは出来ません。知ることができるのは、既に起きた結果だけです。そして、その結果を早まって判断してはなりません。神様は人間の目には悪い結果と思えることも、善いものに変えることがお出来になるからです。私たちは、今起きていることの中に善なる神の働きを感じ取ることが出来るのです。 

 このように思い巡らす時、皆さんが戸畑天使園を選んでくださったことは、皆さんの意志による選択でしたが、同時にそれは、神様がそのように背後で導いてくださったからであると信じています。だから、今日の聖句にあるように、入園した園児たちは、皆、神様の計らいにより、神様が選び戸畑天使園に送ってくださった大切な子供たちであると受け止めています。この大事な子供たちと親御さんたちとの出会いは恵みであり、大きな喜びです。皆さんとの出会いを通して、神様の前で共に成長できることを願っています。 


2021年3月1日月曜日

2021年3月の聖句

聖 句

「暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。」(新約聖書 ヨハネによる福音書1235)


 戸畑天使園 園長  江夏 國彦

 さまざまな花が咲き乱れ、春の訪れを感じさせてくれる季節になりました。3月は別れの季節でもあります。別れは辛いですが、その後にやってくる新しい出会いの喜びも予感します。子どもたちの成長の背後には多くの人々の善意と助けがあったことに思いを馳せましょう。

 子育て真っ最中で、忙しさにかまけて自分の時間が取れない、余裕がない、自分がどこに向かって生きているのかわからないと言う方もいるかも知れません。自分はまだ若いと思って人生を俯瞰する時を持つこともなく、どんどん時は過ぎてゆく日々を送っておられる方もおられることでしょう。林芙美子は「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という歌を残していますが、コロナ禍は、私たちに自分の一生について考える時間を与えてくれたのではないでしょうか。

クレマチスの苗

聖書が教えていることは、人間は神に造られ、神に育てられ、神に向かって歩み、神のもとに帰ってゆくことが神の御旨であると言っています。様々な出来事を通して、結局、神に立ち返ること以外に真の幸せはないというのです。なぜなら、人間は、もともとそのように造られているからです。今日の聖句が述べているように、神不在の世界で生きようとすることは、暗闇の中を歩くようなものであり、自分がどこへ行くのかわからないまま、時が過ぎてしまうのです。待ち受けているのは、恐れと不安のつきまとう一生です。

だから、純粋で天使のような幼い子供が身近にいることで神に向かう心が豊かに与えられる今が、大切な時なのです。今日の聖句は、後悔することのないように、大切なものを、時宜にかなった時に身につけるようにと教えているのだと思います。時が過ぎてゆくのは早いもの、子供の成長と共に自分の成長も確かめながら、生きる意味を見出す歩みの人生でありたいものです。

 


2021年2月1日月曜日

2021年2月の聖句

聖 句 

 

天の父なる神は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる。聖書 マタイによる福音書5:45) 


 

戸畑天使園 園長  江夏 國彦  

 

寒い日が続いています。皆さん、如何お過ごしでしょうか。今日の日本の社会にあっては「愛」という言葉は、いろいろと使い古されて、軽々しい意味しか持たなくなったような気がします。ある家庭での話ですが、18歳になる娘が言ったそうです「愛はいらない。親切がほしい。」本当はどんな人でも「愛」が欲しいのに、うわべだけの愛に傷つくことがあまりにも多いのです。このように言いたくなる気持ちがわかります。81歳になる老人が言ったそうです「愛はいらない。優しい言葉がほしい。」多分、言葉で心の傷を受けることの多い人生を送ってきたのでしょう。 

 

 ペットブームの時代に今月もまた、犬の話。東京の或る家庭の話ですが、愛犬、「愛」の世話に余念がない奥様が、買い物へ行った先から電話で「寒いから愛ちゃんのために、暖房をつけておいてね」と頼みごと。電話に出たご主人が「俺だって寒いんだよ」とガチャンと切ってしまったとか。なんだかどこにでもありそうな家庭での対話。体だけでなく、心も寒さを感じさせる笑い話です。 




 

そんな時、ぽかぽかと暖めてくれる太陽の光のようなぬくもりが恋しくなります。近年、クリーン・エネルギーで一躍脚光を浴び始めたソーラー・エネルギーは、これからの利用の仕方の技術が発達すれば、多大な豊かさをもたらすものです。すでに私たちは、毎日太陽の光の恩恵をどれだけ多く受けていることでしょう。今月の聖句教えてくれています 

 

 太陽の光は、何者をも差別をしません。強制もしません。いやなら光を遮る窓を閉めればよいのです。太陽の光は代償を求めません。感謝されようとされまいと与え続けます。それでいて決して尽きることがありません。少なくなったから減らしましょうということありません。いつも惜しみなく豊かに与えてくれるのです。活用によってはさらに大きな実りをもたらす無限の可能性を秘めています。 

 

 このように思い巡らすと太陽の光は、神さまの暖かい心、この世を照らす光としてこられたキリストのいつくしみ深い愛を思い起こさせてくれます。いつの日も変わることなく豊かに注がれる主の恵みを思わずにおれません。そしてこの恵みによって人間の心は暖められ、不信と利己心という分厚いコートで身を固めていた人間を回心させ、ついにそのコートを脱がせることもできるのです。 

 

新型コロナウイルス感染症に世界中が怯え、人々の心が冷え切った今日にあって、私たちがエネルギーに満ちた太陽の光のように多くの人々の心に温もりを伝えてゆく者になれますようにと願っています