2020年5月25日月曜日

2020年6月の聖句


聖 句
 
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(新約聖書コリント人への第1の手紙 1013節)

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戸畑天使園 園長  江夏 國彦

日本もようやく5月25日を持って緊急事態宣言が解除されることになりました。しかし、新型コロナウイルス感染症が世界全域に広がる(パンデミック)前の世界にはもう戻れないと多くの学者が言っています。それほどこのウイルスは特異な性質を持っていることと、パンデミックの規模と性格が違うからです。感染しても症状が現れない場合があるので、その間に多くの人に移してしまうこと。また、ウイルスの遺伝子の構造が少しずつ次々に変化するので再感染する人がいることなどは最も特徴的です。

 

絶えず変異するこのウイルスを完全に消滅させることは難しいのです。早く、ワクチンや特効薬が開発されることが待たれています。しかし何処の国でも、誰でもそのワクチンや特効薬の恩恵を受けられるようになるまでには相当な時間がかかり、完成した頃には次のウイルスが第2波、第3波となって流行するかもしれません。だからこれからは、コロナと共存する世界に変わってゆくのでしょう。まさに、その時代の始まりと言えるかも知れません。
 
この新しい時代に新しい生活の仕方をいち早く身につけるようにしましょう。新型コロナウイルスがもたらしたもので、悪いものと良いものとを見極める知恵が必要です。良いものもきっとあるはずです。さらに、悪いものもの中にも、見方を変えると良いものになるかも知れません。柔軟な頭で、新しい発想で物事に取り組む姿勢が求められています。子どもたちは、わたしたちが想像しなかったような世界をこれから生きてゆくことになったのです。子供の適応能力の高さを信じて、これからの時代を共に前向きに生きてゆきましょう。





2020年5月2日土曜日

2020年05月の聖句


聖 句

 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、私があなたを忘れることは決してない。」(旧約聖書イザヤ書49:15


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戸畑天使園 園長 江夏 國彦

新型コロナウイルスのために始業式も入園式もできなかった四月でしたが、五月になって自然界はますます元気になり、樹木の葉は青々と繁り、花々は色とりどりに咲き乱れています。
 
 

五月は聖母マリアの月、カトリックでは聖母月と呼んでいます。春の訪れと共に自然界の命の豊かさを最も感じさせてくれる月です。また、教会ではキリストの復活の喜びと希望に満ちた月として、この月を聖母マリアに捧げ、聖母に私たちの願いを取り次いでもらう信心が伝統としてなされてきました。私たちの心を豊かに育み、喜びで満たしてくれるのです。皆さまもカトリック戸畑教会の「ルルドの聖母像」の前でお祈りしてみたらどうでしょう。

2020年4月3日金曜日

2020年04月の聖句

聖  句

 「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなた方にどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している」(ルカによる福音書6章31-32節)
 
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戸畑天使園 園長 江夏 國彦

 全世界へと新型コロナウイルス感染が拡大してしまった状況で、新園児を迎えることは、いまだかつてなかったことです。本来なら、喜びと希望に満ち溢れた日になるはずですが、不安と緊張の中で入園式を迎えることになりました。入園式に当たっては、皆さんの安心と安全のために最善の対策を講じる努力をいたします。



 何はともあれ、子どもたちの気持ちを暗くしないように努めたいと思います。入園する子にとって初めての共同生活、多くのお友だちをつくって欲しいと思います。人は人との関わりの中でしか成長できないのですから。また「人は主体的に生きることによって幸福になれる」と言われます。ご両親の立場になると我が子がみんなと仲良くやって行けるだろうかと心配のことでしょう。子供はあらゆる面において、大きく成長する可能性を秘めています。ご両親も今まで以上に我が子との関わりを持ち、更に先生たち、他の園児の保護者たちとも主体的に、積極的に関わってほしいと思います。在園児の保護者の皆さんも今まで学んだことを新園児の保護者の方々に出し惜しみなく教えて下さい。保護者の皆さんと全職員が一丸となって、子供の成長のために尽力したいと思っています。子供の成長は、私たちみんなの喜びです。

2020年3月4日水曜日

2020年03月の聖句

聖 句

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書6章34節)

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戸畑天使園 園長 江夏 國彦

 年長さんは、卒園する季節になりました。親たちは子供たちに託す夢で希望が一杯ですが、将来に対する不安も多くあることでしょう。将来に希望がなければ、喜んで生きてゆけません。私たちの思いは将来に向けられており、何かを待ちながら生きています。

しかし、聖書に「将来」と訳されている原文のヘブライ語は「背中、背後」という意味をも持っています。ヘブライ人は「将来」と「背後」という語彙を使い分けずに同じ語彙を使っているのです。その理由は、将来を背後に、過去を目の前に置いて生きるという仕方で時間を捉えているからです。ところが私たちは一般に、時間の流れの方向に顔を向けて、将来のことを案じながら生きています。

 どうして、ヘブライ人はそのような生き方をするのでしょうか。彼らにとって、過去は、確かな事実として人の目の前にあり、人の手の中にあります。不完全とはいえ、調べることも、思い起こすこともできます。しかし将来は、不確かなもので、想像するしかありません。将来は彼らにとって、神を信頼して、ただ待ち受けるべきものなのです。
 
 

 神の慈しみと導きを信じきれない私たちは、将来を予測することを求め、不安と恐れを取り除こうと勤めます。そのための備えをするのですが、完全な予測は出来ないし、充分な備えができたとは言い切れません。どこまでも私たちの心には不安が付きまとうのです。いくら科学が発達しても、いくら大掛かりな調査と研究成果をもってしても、将来何が起こるか分らないと言う思いは最後まで残るのです。この不安と恐れを払拭してくれる信仰、それは過去に神の成された慈しみの業に基づく深い神への信頼の心なのです。将来のことを神にゆだねる心、将来も神が導くと言う確信を得ることです。

  子育て真っ最中の人々にとって、将来のことで心配することが一杯あると思います。そんなとき、今まで生きてきた中で、沢山の喜ばしいことや、神様から受けた恵みを思い起こしましょう。何より、子どもたちは、将来のことを心配することなく、喜々として生きています。無意識のうちに神様の導きに信頼している姿から力を得ましょう。

2020年2月4日火曜日

2020年02月の聖句

聖 句 
 
「天におられる私達の父よ、御名が尊まれますように。御国が来ますように。」(マタイによる福音書6章910節)
 
           
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戸畑天使園 園長 江夏 國彦 
 
  今年の冬は温暖化のせいか 雪が少なく、曇った日や、しとしとと降る雨の日が続いています。近年人々の心に不安と暗い影を落としている事柄が多く起きています地球温暖化が進み、世界の各地に大洪水や旱魃、そして大規模森林火災など起きています。北極や南極の氷が溶け出し、海面上昇、さらに地震や津波による被害も起きています。 
 世界の飽くなき経済活動は、さまざまな環境問題を生み出したばかりでなく、経済的格差も生み出したのです。さらに一国主義は様々な格差を助長します。環境問題も経済問題も地球規模で国際的取り組みが必要とされる時代になっています。そうしなければ、今以上に過酷な自然環境と苦しい経済状況になるからです。一国だけでは解決できない問題ですが、同時に私達は今、個人的に、そして家族をはじめ色々な共同体として何ができるのか問われています 
 
 
不安要素が様々な形で起きている世界情勢の中で、誰もが思うことは、この世界は結局、最後はどうなるのだろうか、破局に向かっているのではなかろうかと心配になります。聖書が教えていることは、世の終りがあり、その時までに神が選びだした人々と共に神が、愛と正義をもって統治し、平和と真理によって成り立つ完全な国に作り上げると教えています。
 
上記の聖句で「御国」とありますが「神の国」とも言います。キリストの到来と同時に神の国は始まっているが、まだ完成していないのです。この世は憎しみと不正と争いと虚偽によって乱されがちになっています。だからキリスト者は、完成に向けて日々努力し、逆らいの力と戦っているのです。道のりにおいて一人一人が大切にされ、愛し合う社会になるように、そして国々がお互いに理解を深め、助け合い、世界が一つなって行くことを願っているのです現実の世界は、この働きに逆らう考えや力が益々大きくなる一方で、同時に様々な形で、一つになろうという気運や世界情勢も見られます。完成するのは実現不可能のようなことであっても、キリスト者は世の終わりの時までは神の助けによって可能であると信じているのです。この世の中にどんなに不安な事柄が起きようと、キリストと共に、そして心ある人々と共に希望を持って生き、神の国の建設に携わっているのです。すでに旧約聖書の時代から預言され、神の恵みと力によって必ず実現すると聖書は教えているからです 
 

2020年1月2日木曜日

2020年01月の聖句

聖 句
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」
(ヨハネ福音書15章:13節)
 
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戸畑天使園 園長 江夏 国彦
 
 新しい年を迎えてお祈りします。戸畑天使園の園児のご家族と職員の皆さんの上に今年も神様の豊かな恵みが注がれますように。
 毎年のように、いじめの問題や子供の自殺が多く報じられ、その度に悲しい思いにさせられます。昨年は特にいじめによる子供の自殺が多く起きました。子供たちは人生をリセットするような感覚で自分の命を絶ってしまうと評する人がいます。パソコンをリセットするかのごとく、簡単に人生のやり直しができるかのように考えているのでしょうか。また親の幼児虐待に関する事件が多数起きました。さらに年老いた親が凶暴になった引きこもりの息子を殺害するという痛ましい事件もありました。これほど命の尊さが問われた年はありませんでした。日本の社会で起きている命に対する軽視はなんとかして阻止しなければなりません。
 

 ローマ教皇フランシスコが日本を昨年の11月に訪問されましたが、その時の来日テーマは「すべての命を守るために」でした。日本の殉教者への祈りや被爆者との交流、自然災害の被災者への訪問など、一連の教皇の行動とメッセージや発言は、命に関連する内容がほとんどでした。「キリスト教の信者を増やすためにイエスを伝えているのではない、生きる力を得てもらいたいからキリストを伝えるのです」という教皇の言葉は、世界平和と深い人間愛から出たものであると思います。
 更に、昨年の人類愛に生きた二人が亡くなられて、言いしれない悲しみに包まれた。10月22日に緒方貞子さんが92歳の天寿を全うされました。彼女は国連の理事、また国連難民高等弁務官として30年近く働かれました。その間、各地で多くの国際紛争が起こり、数百万の難民が溢れたときでした。激動の時代に、世界の各地に赴いて献身的に働かれました。ある難民キャンプ地では防弾チョッキを身につて支援に当たられ、多くの命を救ったのです。現地の人々に「日本のマザー・テレサ」と呼ばれて慕われていました。
 
 もう一人は、12月4日、中村 哲医師がアフガニスタンで凶弾に倒れました。73歳でした。30年以上、治安の悪いアフガニスタンで復興のために尽くされ、60万人以上の命を救った偉大な人でした。幼少の頃北九州市若松区で育ち、九州大学の医学部を出て医者になられた方です。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とイエス様は言われました。
  命を粗末にする悲しい事件が多く起きた昨年でしたが、日本から大きな二つの星が世界に輝いて天国へ昇ってゆかれました。私達の地から輝き出た栄光の星を誇りに思うと同時に、今度は、私達ができる何かを行動に移す新しい年にしたいものです。

2019年12月6日金曜日

2019年12月の聖句

 
聖 句

「いと高きところには、栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」( ルカによる福音書2章:14節)
 
 戸畑天使園 園長   江夏國彦
 
  ファリサイ派のユダヤ人たちが、神の国はいつ来るのか尋ねたとき、イエスは「実に、神の国はあなた方の間にあるのだ」と答えられた。神の国は、最高主権者としての神の支配する国を言いますが、いつ来るのか、どこに来るのかと言うようなものではなく、神の霊である聖霊が思いのままに働かれるとき、そこには神の国が到来していると教えられたのです。聖パウロは「神の国は、聖霊によって与えられる神の義と平和と喜びです。」(ロマ書:14:17)と述べています。
 
 
  クリスマスの出来事は、乙女マリアが身ごもるという、まさに聖霊による業が行われたことであり、人類救済という神の義の実現に向けての始まりでありました。そして新しい命の誕生の喜びとみんなが命を大切にする愛による平和で満たされていたのです。神の計画を告げられ、それを信じたマリアは主である神こそが全てであり、この方を全身全霊で愛し、神と人々に仕える謙遜な生き方を生涯貫かれました。
 
  このように、クリスマスは、聖霊によって神がなされた業であり、そこに神の国の実現を見たのです。しかし、それは神の国の始まりであり、世の終わりの日には、クリスマスに生まれてこの世に来られたイエス・キリストが再来して神の国を完成してくださる日が来るとキリスト者は信じているのです。
一方、この幼子をメシア(救い主)と信じた人々は、マリアのように神のみ前に謙遜な人々でした。このような人々にとって、またこの幼子を受け入れる者にとって神の国はすでにこの世において始まっているのであり、神が完全に支配する神の国の完成の日に向けて希望を持って生きているのです。