2020年9月28日月曜日

2020年10月の聖句

聖 句

「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(新約聖書 ローマの信徒への手紙5:3-4)

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戸畑天使園 園長  江夏 國彦

  新型コロナウイルスは、新しい時代をもたらしました。悪いことばかりでなく、良いことももたらしました。しかし、とにかく難しい時代を迎えていると多くの人が感じているのではないでしょうか。専門家たちによると「新型コロナウイルスは収束する事はあっても、今後地球上から完全に消滅することはない」が一致した見解です。従って、人類はこのウイルスと共に生きてゆかなければならないのでしょう。油断すればいつでもまた、感染が広がる可能性があるのです。



 そのような状況の中で、色々な分野でバランスを取ることが求められています。コロナ対策が優先か、経済活動が優先か。テレワークか、出社勤務か。オンライン授業か、対面授業か。幼稚園においても、予定されていた行事をキャンセルして感染拡大を防ぐか、感染対策をして、縮小してでも行事を行うか。常に、その時の状況判断をしながら、バランスを取りながら年間行事を実施してゆかなければなりません。

 このような難しい時代に入っても、幼児教育において、何時の時代も変わらず大切なことは、幼児は触れ合い、じゃれ合い、一緒になって遊ぶことで人間的成長がなされることです。しかし、このウイルスはそれをゆるしません。感染リスクを高めることになるのです。だから、感染対策で何時、何処に、どんな対策をすべきかをよく学んで、メリハリの効いた対策をした上で、できる限り子どもたちが自由に交わり、楽しい園生活がおくれるようにと思っています。そのことは、家庭においても同じことが求められるのではないでしょうか。お互いに、新しい時代に、新しい生活の仕方を学びながら子育てのための努力をいたしましょう。聖句にあるように、私たちの苦難は、希望を生むにちがいありません。

 

2020年9月2日水曜日

2020年9月の聖句

聖 句

「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マルコによる福音書8章:33節)

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戸畑天使園 園長  江夏 國彦

  今年の夏は、コロナ禍に加えて、猛暑が人々を苦しめました。ある地域では今も続いています。新型コロナウィルスに感染して亡くなる人の数より、熱中症による死者数が多い状況が続きました。6月、7月は豪雨による災害も度々起きましたし、自然災害による苦しみが続いています。自然災害だけの苦しみだけではありません。これほど科学文明が発達し、物質的に豊かな社会になっても人間の苦しみは何時の時代もなくなることはありません。苦しみは、私達の人生にいつもつきまとう問題です。それをどう受け止め、どのように乗り越えるのか、その人の生き方 にかかっています。

                                                            

イエス・キリストが、多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められたとき、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めたのです。イエスは振り返って、ペトロを叱って言われた言葉が今日の聖句です。  キリストの招きに答えて、弟子となり、寝起きをともにしていたペトロでしたが、この頃のペトロはまだ、キリストをよく理解できていませんでした。キリストは救い主と信じていましたが、この世の政治的な偉大な指導者としてのメシア(救い主)理解でした。だから主が、苦難を乗り越えた後の喜びに入られることも、十字架を通して復活されることも知る由もなかったのです。しかし、ずっと後になって、復活されたキリストに出会って、初めてメシア理解、キリスト理解が深められました。キリストへの感謝の思いとその愛にこたえたい思いは、命を捧げるほどに変えられたのです。  「苦あれば楽あり」と言うときの「苦」と意味が違います。苦しみの中に、喜びを見出している苦しみです。真の喜びは、苦しみ無しにあり得ない喜びですが、苦しみの中にある時にもすでに喜びを見出しているのです。なぜなら、どのような苦難も、すでに勝利を得たかのような確信と希望が、喜びに変えてしまうからです。 聖アウグスティヌスは、次のように言いました。「真の愛は、最も困難なこと、最も苦しいことを、全く負いやすく、その重荷を無にします」と。

2020年6月23日火曜日

2020年7月の聖句


聖 句

「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時。植える時、植えたものを抜く時・・・(中略)・・・

  すべて神の業は永遠に不変であり、付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。」(旧約聖書 コヘレトの言葉31-17)
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戸畑天使園 園長  江夏 國彦

  コロナ禍で、全世界の人々が苦しんでいます。病に感染して苦しんでいる人、働きの場を失って苦しんでいる人、環境の変化で精神的に病んでしまった人、差別と偏見で苦しんでいる人、様々です。歴史の中で今まで様々な禍がありました。しかしそれは、地域的で、限定的でした。今回の禍ほど広域で、平等に、全世界の人々の命を脅かし、経済的にも、生活の仕方にも大きな影響を及ぼしている例は、いまだかつてなかったことです。前例のない出来事を前にすると、私たちは、将来、世界はどうなってゆくのだろうかと危惧します。

戸畑天使園の園庭 2020年4月

 今日の聖句に「何事にも時があり、定められた時がある」とあります。この「時」という言葉の意味は、時間的な意味の時を含みますが、それを超えた意味があり、歴史的時の流れの範畴では理解できない事柄です。聖書が教えているのは、永遠の次元の中では、時の流れも神によって創造され、支配されているのです。つまり、どんな出来事も、無意味に起こっているのではないということです。私たちには誰もその意味がわかりませんが、意味あるものに変えることができる、その道がある、それが必ず可能なのだと思えるようになるのです。事実、禍の中にも、良いものがいくつも生まれています。そのことに気が付かなければならないと思います。

聖書が示す「時」を思い巡らしていると、さまざまな考えが私たちの胸のうちを去来します。「時」が、あるときは慰めであったり、あるときは悲しみであったり、喜びであったり、苦しみであったりします。いつかは全て過ぎ去る「時」です。しかし「永遠」の前では人間の一生は一瞬のごとく、宇宙万物の中では人間はちっぽけな被造物の一つにすぎず、全知全能で聖なる神のみ前では人間は無知蒙昧な罪人にすぎません。今起こっているコロナ禍は、すべての人に平等に、人間という存在の儚さ、小ささを思い知らせてくれたと感じている人は多いのではないでしょうか。

 

2020年5月25日月曜日

2020年6月の聖句


聖 句
 
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(新約聖書コリント人への第1の手紙 1013節)

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戸畑天使園 園長  江夏 國彦

日本もようやく5月25日を持って緊急事態宣言が解除されることになりました。しかし、新型コロナウイルス感染症が世界全域に広がる(パンデミック)前の世界にはもう戻れないと多くの学者が言っています。それほどこのウイルスは特異な性質を持っていることと、パンデミックの規模と性格が違うからです。感染しても症状が現れない場合があるので、その間に多くの人に移してしまうこと。また、ウイルスの遺伝子の構造が少しずつ次々に変化するので再感染する人がいることなどは最も特徴的です。

 

絶えず変異するこのウイルスを完全に消滅させることは難しいのです。早く、ワクチンや特効薬が開発されることが待たれています。しかし何処の国でも、誰でもそのワクチンや特効薬の恩恵を受けられるようになるまでには相当な時間がかかり、完成した頃には次のウイルスが第2波、第3波となって流行するかもしれません。だからこれからは、コロナと共存する世界に変わってゆくのでしょう。まさに、その時代の始まりと言えるかも知れません。
 
この新しい時代に新しい生活の仕方をいち早く身につけるようにしましょう。新型コロナウイルスがもたらしたもので、悪いものと良いものとを見極める知恵が必要です。良いものもきっとあるはずです。さらに、悪いものもの中にも、見方を変えると良いものになるかも知れません。柔軟な頭で、新しい発想で物事に取り組む姿勢が求められています。子どもたちは、わたしたちが想像しなかったような世界をこれから生きてゆくことになったのです。子供の適応能力の高さを信じて、これからの時代を共に前向きに生きてゆきましょう。





2020年5月2日土曜日

2020年05月の聖句


聖 句

 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、私があなたを忘れることは決してない。」(旧約聖書イザヤ書49:15


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戸畑天使園 園長 江夏 國彦

新型コロナウイルスのために始業式も入園式もできなかった四月でしたが、五月になって自然界はますます元気になり、樹木の葉は青々と繁り、花々は色とりどりに咲き乱れています。
 
 

五月は聖母マリアの月、カトリックでは聖母月と呼んでいます。春の訪れと共に自然界の命の豊かさを最も感じさせてくれる月です。また、教会ではキリストの復活の喜びと希望に満ちた月として、この月を聖母マリアに捧げ、聖母に私たちの願いを取り次いでもらう信心が伝統としてなされてきました。私たちの心を豊かに育み、喜びで満たしてくれるのです。皆さまもカトリック戸畑教会の「ルルドの聖母像」の前でお祈りしてみたらどうでしょう。

2020年4月3日金曜日

2020年04月の聖句

聖  句

 「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなた方にどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している」(ルカによる福音書6章31-32節)
 
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戸畑天使園 園長 江夏 國彦

 全世界へと新型コロナウイルス感染が拡大してしまった状況で、新園児を迎えることは、いまだかつてなかったことです。本来なら、喜びと希望に満ち溢れた日になるはずですが、不安と緊張の中で入園式を迎えることになりました。入園式に当たっては、皆さんの安心と安全のために最善の対策を講じる努力をいたします。



 何はともあれ、子どもたちの気持ちを暗くしないように努めたいと思います。入園する子にとって初めての共同生活、多くのお友だちをつくって欲しいと思います。人は人との関わりの中でしか成長できないのですから。また「人は主体的に生きることによって幸福になれる」と言われます。ご両親の立場になると我が子がみんなと仲良くやって行けるだろうかと心配のことでしょう。子供はあらゆる面において、大きく成長する可能性を秘めています。ご両親も今まで以上に我が子との関わりを持ち、更に先生たち、他の園児の保護者たちとも主体的に、積極的に関わってほしいと思います。在園児の保護者の皆さんも今まで学んだことを新園児の保護者の方々に出し惜しみなく教えて下さい。保護者の皆さんと全職員が一丸となって、子供の成長のために尽力したいと思っています。子供の成長は、私たちみんなの喜びです。

2020年3月4日水曜日

2020年03月の聖句

聖 句

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書6章34節)

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戸畑天使園 園長 江夏 國彦

 年長さんは、卒園する季節になりました。親たちは子供たちに託す夢で希望が一杯ですが、将来に対する不安も多くあることでしょう。将来に希望がなければ、喜んで生きてゆけません。私たちの思いは将来に向けられており、何かを待ちながら生きています。

しかし、聖書に「将来」と訳されている原文のヘブライ語は「背中、背後」という意味をも持っています。ヘブライ人は「将来」と「背後」という語彙を使い分けずに同じ語彙を使っているのです。その理由は、将来を背後に、過去を目の前に置いて生きるという仕方で時間を捉えているからです。ところが私たちは一般に、時間の流れの方向に顔を向けて、将来のことを案じながら生きています。

 どうして、ヘブライ人はそのような生き方をするのでしょうか。彼らにとって、過去は、確かな事実として人の目の前にあり、人の手の中にあります。不完全とはいえ、調べることも、思い起こすこともできます。しかし将来は、不確かなもので、想像するしかありません。将来は彼らにとって、神を信頼して、ただ待ち受けるべきものなのです。
 
 

 神の慈しみと導きを信じきれない私たちは、将来を予測することを求め、不安と恐れを取り除こうと勤めます。そのための備えをするのですが、完全な予測は出来ないし、充分な備えができたとは言い切れません。どこまでも私たちの心には不安が付きまとうのです。いくら科学が発達しても、いくら大掛かりな調査と研究成果をもってしても、将来何が起こるか分らないと言う思いは最後まで残るのです。この不安と恐れを払拭してくれる信仰、それは過去に神の成された慈しみの業に基づく深い神への信頼の心なのです。将来のことを神にゆだねる心、将来も神が導くと言う確信を得ることです。

  子育て真っ最中の人々にとって、将来のことで心配することが一杯あると思います。そんなとき、今まで生きてきた中で、沢山の喜ばしいことや、神様から受けた恵みを思い起こしましょう。何より、子どもたちは、将来のことを心配することなく、喜々として生きています。無意識のうちに神様の導きに信頼している姿から力を得ましょう。