2020年1月2日木曜日

2020年01月の聖句

              
                                          聖 句
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ福音書15章:13節)
 
 
       戸畑天使園 園長 江夏 国彦
 新しい年を迎えてお祈りします。戸畑天使園の園児のご家族と職員の皆さんの上に今年も神様の豊かな恵みが注がれますように。
 毎年のように、いじめの問題や子供の自殺が多く報じられ、その度に悲しい思いにさせられます。昨年は特にいじめによる子供の自殺が多く起きました。子供たちは人生をリセットするような感覚で自分の命を絶ってしまうと評する人がいます。パソコンをリセットするかのごとく、簡単に人生のやり直しができるかのように考えているのでしょうか。また親の幼児虐待に関する事件が多数起きました。さらに年老いた親が凶暴になった引きこもりの息子を殺害するという痛ましい事件もありました。これほど命の尊さが問われた年はありませんでした。日本の社会で起きている命に対する軽視はなんとかして阻止しなければなりません。
 

 ローマ教皇フランシスコが日本を昨年の11月に訪問されましたが、その時の来日テーマは「すべての命を守るために」でした。日本の殉教者への祈りや被爆者との交流、自然災害の被災者への訪問など、一連の教皇の行動とメッセージや発言は、命に関連する内容がほとんどでした。「キリスト教の信者を増やすためにイエスを伝えているのではない、生きる力を得てもらいたいからキリストを伝えるのです」という教皇の言葉は、世界平和と深い人間愛から出たものであると思います。
 更に、昨年の人類愛に生きた二人が亡くなられて、言いしれない悲しみに包まれた。10月22日に緒方貞子さんが92歳の天寿を全うされました。彼女は国連の理事、また国連難民高等弁務官として30年近く働かれました。その間、各地で多くの国際紛争が起こり、数百万の難民が溢れたときでした。激動の時代に、世界の各地に赴いて献身的に働かれました。ある難民キャンプ地では防弾チョッキを身につて支援に当たられ、多くの命を救ったのです。現地の人々に「日本のマザー・テレサ」と呼ばれて慕われていました。
 
 もう一人は、12月4日、中村 哲医師がアフガニスタンで凶弾に倒れました。73歳でした。30年以上、治安の悪いアフガニスタンで復興のために尽くされ、60万人以上の命を救った偉大な人でした。幼少の頃北九州市若松区で育ち、九州大学の医学部を出て医者になられた方です。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とイエス様は言われました。
  命を粗末にする悲しい事件が多く起きた昨年でしたが、日本から大きな二つの星が世界に輝いて天国へ昇ってゆかれました。私達の地から輝き出た栄光の星を誇りに思うと同時に、今度は、私達ができる何かを行動に移す新しい年にしたいものです。

2019年12月6日金曜日

2019年12月の聖句

 
聖 句

「いと高きところには、栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」( ルカによる福音書2章:14節)
 
 戸畑天使園 園長   江夏國彦
 
  ファリサイ派のユダヤ人たちが、神の国はいつ来るのか尋ねたとき、イエスは「実に、神の国はあなた方の間にあるのだ」と答えられた。神の国は、最高主権者としての神の支配する国を言いますが、いつ来るのか、どこに来るのかと言うようなものではなく、神の霊である聖霊が思いのままに働かれるとき、そこには神の国が到来していると教えられたのです。聖パウロは「神の国は、聖霊によって与えられる神の義と平和と喜びです。」(ロマ書:14:17)と述べています。
 
 
  クリスマスの出来事は、乙女マリアが身ごもるという、まさに聖霊による業が行われたことであり、人類救済という神の義の実現に向けての始まりでありました。そして新しい命の誕生の喜びとみんなが命を大切にする愛による平和で満たされていたのです。神の計画を告げられ、それを信じたマリアは主である神こそが全てであり、この方を全身全霊で愛し、神と人々に仕える謙遜な生き方を生涯貫かれました。
 
  このように、クリスマスは、聖霊によって神がなされた業であり、そこに神の国の実現を見たのです。しかし、それは神の国の始まりであり、世の終わりの日には、クリスマスに生まれてこの世に来られたイエス・キリストが再来して神の国を完成してくださる日が来るとキリスト者は信じているのです。
一方、この幼子をメシア(救い主)と信じた人々は、マリアのように神のみ前に謙遜な人々でした。このような人々にとって、またこの幼子を受け入れる者にとって神の国はすでにこの世において始まっているのであり、神が完全に支配する神の国の完成の日に向けて希望を持って生きているのです。
 

2019年11月7日木曜日

2019年11月の聖句


聖 句
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイによる福音書11章28-30節
 
戸畑天使園 園長 江夏國彦
 
 すでに報道されていますように、今年の1123日から26日にかけてローマ教皇(法王)が来日される予定です。北九州地区のカトリック教会は1014日に殉教者である加賀山隼人とその家族の顕彰祭をカトリック小倉教会で行いました。彼らは今から400年前に小倉、日出、熊本の地で殺された人たちです。彼らに共通していることは、皆、純粋に信仰のゆえに殺されたこと、殉教者にされたことを神からの恵みであり、栄誉と受け止めたこと、そして自分の思いや願いではなく、神の思いである神の御旨に自分のすべてをゆだねて最後まで生き抜いたことです。
 平和で信仰の自由が保障された今日の私たちの社会では殉教と言うことは起こりえないかもしれませんが、自分の思いではなく、神の御旨に生きることに、昔も今も変わりありません。私たちは、神の御旨、神の思いがよくわからない、わかっていても利己心のために従うことが難しい。それ故、どんな人も悩み苦しんでいるのです。重荷を背負わされて生きているようなものです。


 仕事や看病に疲れ、そして人間関係の難しさに押し潰されそうになっているのではないでしょうか。人間的な弱さや限界、自分のことで精一杯であり、他人の重荷、苦しみなど気付くゆとりのない現実の生活を省みるとき、上記のキリストの言葉は、そう易々と言えるものではないのです。キリストの生き方は、無制限に、無差別に、十字架上の死に至るまで自分を与え続け、私たちへの深い理解、利己心のない愛を注いでくださったのです。そして今も私たちを支え、育て御自身の命を与え続けておられるのです。私たちは自分の弱さ、ちっぽけな存在であることを知れば知るほど、イエスの言葉が、どんなにか重みがあり、慈悲深い言葉として響きます。その生き方の源泉は、私たちに対する溢れるほどの愛、慈しみでした。キリストが私たちにとって、魂の安らぎと癒やしになって下さいますように。
 

2019年10月1日火曜日

2019年10月の聖句


聖 句

「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされています。」(コリントの信徒への第二の手紙416節)
 

         戸畑天使園 園長 江夏國彦

 
 9月の第3月曜日は敬老の日と定められています。毎年9月に祖父母さまを迎えて、保育参観と聖堂での神様の祝福式を行います。今年も大勢お迎えすることができました。

 後期高齢を過ぎたあるお爺さんが、散歩がてらに久しぶりに、賑わうあるデパートへ行きました。すると一階の案内嬢のところで一人の若い父親が、妻に買い物を頼まれたらしく、忙しそうに聞いていた。「赤ちゃん売り場ってどこですか。」聞かれたほうも「ハイ七階にございまーす」と機械的に答えていた。それをたまたまそばで聞いていたお爺さんが「最近のデパートは赤ちゃんまで売っているんだ。」と呟いた。ベビー用品売り場で何を買い求めたのか知らないが、これは笑い話である。

お爺さんは、きっと自分にも子育て真っ最中で忙しく働いていた若い頃があったことが思い出されて微笑ましく感じたことでしょう。

 どんなに忙しい毎日を送っている身であっても、身近にいるお年寄りへの配慮を忘れないようにしましょう。いつも温かい心で見守っていてくれるのですから。次の作者不詳の文章が老人の思いを理解するのに役立つかもしれません。


   <老人の思いと願い>

老人の耳は、人の言葉を聞きとるため大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。

老人の目はうすくなり、行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。

しばらく立ちどまって明るくほほえみながらおしゃべりしてくれる人は幸いです。

「今日はその話を二度もききましたよ。」と決して言わない人は幸いです。

愛されており、ひとりぼっちでないことを教えてくれる人は幸いです。

老人には十字架を担う力がないことをわかってくれる人は幸いです。

愛情深く、人生の最後の旅路の日々をなぐさめてくれる人は幸いです。

 

2019年9月1日日曜日

2019年09月の聖句


    聖 句

 「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」(マルコによる福音書227節)

      戸畑天使園 園長 江夏國彦

  キリストが、中風で長年苦しんでいた人を癒されたときの言葉である。近くにいた律法学者たちが「安息日に人の病をいやすことは律法で許されていない」と主張し、病の苦しみから解放してあげること(人権)より、律法を守ることが大切であると考えていた律法学者たちに対しての言葉です。

  40年近く前の話ですが、私がまだ司祭になって間もないころ、群馬県のカトリック渋川教会を担当したことがありました。そして群馬県の草津にあるハンセン病者のための療養施設「栗生楽泉園」の中にあるカトリック草津教会にも渋川から巡回ミサに出かけていました。司牧の仕事で元患者の皆さんと親しくさせていただきましたが、その頃の私は、彼らとその家族の最も大きな苦しみとなっている差別の問題については、見えていなかったのです。国の隔離政策の本質に気付かず人権の視点から彼らと向き合っていなかったのです。当時の私は何とも人権意識の薄い者でした。この観点から交わり、その苦しみからの解放のために何の積極的な働きもしてこなかったことを恥じています。まさに、私は不作為のそしりを免れない者です。

 昭和4年に始まった「無らい県運動」は、犯人探しのようにしらみつぶしに患者を見つけ出しては各地の療養所に送り込んだのです。また職員の裁量によって一方的に患者を収監する特別病室(重監房)が栗生楽泉園には設けられたのです。結婚する際には、断種の手術が強制され、子供をさずかった場合は、堕胎させられ、その胎児はホルマリン漬けの標本にまでされました。まさに人を人として認めない、人権蹂躙の撲滅政策であったと言えます。昭和18年特効薬プロミンが開発され、ハンセン病は治る病気となり、平成8年、らい予防法が廃止されてからも、差別と偏見は続きました。平成10年、熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が元患者たちからおこされました。平成13年原告勝訴の判決が下り、ようやく人権回復が実現したのでした。
    

 さらに今年の79日、安倍晋三首相は、国が続けたハンセン病患者の隔離政策によって家族も差別を受けたとして家族らが国に損害賠償を求めた訴訟で、国の責任を認め、償を命じた熊本地裁判決を受け入れ、控訴しないと表明しました。元患者の家族を巡り、国の立法不作為や対策義務違反を認めたのです。

 そして710日、日本カトリック司教協議会は、ハンセン病者に関して「謝罪」を行った。その謝罪声明文の中に「ハンセン病回復者の皆様と家族の皆様、そしてすでに天に召された方々に対して当事者たちの当然の権利を守る視点に立てなかった責任を認め、謝罪いたします。」とある。

 差別の問題は、いつの時代も、どんなところにも存在する問題であり、その本質を見極めるには、相手の立場に立つこと、特に人権の視点を忘れてはならないのだとあらためて感じさせられた。



 

2019年7月1日月曜日

2019年07月の聖句


聖 句

「彼は叫ばず、声を上げず、巷に自分の声を聞かせない。折れた葦を彼は断ち切らず、くすぶる灯心を消さず、まことに、彼は正しい法を輝かせる。」(旧約聖書 イザヤ書422-3節)
 
   戸畑天使園 園長  江夏国彦 神父


 暑さの厳しい夏がやってきました。日頃から体調に留意してこの暑さを乗り切りたいものです。

 哲学者であり、数学者であったパスカルは「神は存在する」のか、それとも「存在しない」のか、どちらに賭けたほうが得なのか数学的で、打算的な考え方で論じた「パスカルの賭け」という話があります。神の存在を確率で思い巡らしたことは、いかにも数学者として面目躍如たるものが有ります。
 
 

 思索に満ちた彼の作品、『パンセ』という著書の中で「人間は考える葦である」と述べたことはあまりにも有名です。人間は折れやすい葦にすぎない。極めて弱い存在です。しかし、それは考えることができる葦であるとパスカルは述べたのです。人間は弱いものでありながらも神学者や哲学者のように、この世を越える次元にまで及ぶ世界を思索する能力があるのです。折れやすくか弱い葦は、人間の弱さを象徴するにふさわしいものです。

 人間の悲惨とキリストによる救いは『パンセ』の中心テーマの一つでした。人間が、どんなに悲惨な状況にあろうとも、「彼(メシア)は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。」(マタイ12:20)とあります。キリストは、弱さを身に帯びた罪深い人間を決して見捨てることのない贖い主であり、救い主であると聖書は記しているのです。
 

2019年6月4日火曜日

2019年06月の聖句


聖 句

「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。」

(新約聖書 コリントの信徒への第二の手紙 110節)
 
            
    戸畑天使園 園長   江夏国彦 神父



 新緑の美しい季節になりました。公園に出かけたり、山に山菜採りに行く機会があるかもしれません。もしかしたら山で突然、猪に出くわすかもしれませんね。

「クマさんの食前の祈り」という笑い話があります。ある人が森の中でクマとバッタリ出会ってしまいました。こんな場合すぐ逃げないで、クマから目を離なさないほうが良いと聞いていたので、その人はクマの目をじっとにらみつけていました。すると、クマはうつむいて、目をつむってしまいました。安心して見ていると、しばらくしてからクマは再び頭を上げて言いました。「最期の祈りは済んだかい?こっちの食前の祈りは終わったぞ。」
 
 

何が起こるかわからない危険に満ちた世界、変化が早くて錯覚に陥りやすい世界、将来の見通しが立たない世界。私たちは今、そういう世界に生きているのです。どうしたら動揺したり、不安をつのらせたりすることなく生きて行けるのでしょうか。きのうも、今日も、そしてこれからも変わらない永遠の愛と命をもっておられる神に希望を掛けて生きる人は幸いです。