2022年1月1日土曜日

2022年1月の聖句

 

聖 句

「ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」(ルカ福音書158-10節)


戸畑天使園 園長  江夏 國彦

 あけましておめでとうございます。お正月の季節になるお正月セール、お年玉プレゼントなど、急に巷は賑わいが増します。しかし、新型コロナウイルスとの戦いのさなかに、この喧騒と賑わいの中でどのような思いで、新しい年を迎えたのでしょうか。何か良いことが起こりそうな気がする人もいますし、何か不安が募るような思いになっている人もいるでしょう。あるいは、今年こそ夢を実現しようと期待に胸を膨らませている人もいるでしょう。


1965年に量子力学への貢献でノーベル物理学賞を授与された故 朝永振一郎博士は落語愛好家で、ユーモアのある人でした。アメリカのプリンストン大学に招かれ、長い研究を終えて帰国されると、記者団が待ち構えていました。「プリンストン大学で何をして来ましたか」と問われて、「虫歯をみんな治療してきました」と答えて、皆を笑わせたそうです。その博士が友人に語った話し「夜、街灯の下で何かを捜している人かいました。『何を無くしましたか』『鍵を無くしました』『どこで』『実はあっちの暗いところなんですがね。暗いとよく見えなし、捜すのが面倒なので明るいところで捜しているんです』今の素粒子論の研究者たちは、こんな事をしているんじゃないですかね。」と最近の物理学者たちの素粒子論研究に対する批評です。

 


 私達の人生の鍵とも言うべき「真の幸せ」についても同じことが言えるのではないでしょうか。この鍵を捜そうとするとき、あのへんではないかと直感していても、あすこは肉眼で見えないし、捜すのに苦労が多いような気がするし面倒だ。皆がわいわい言って楽しそうで、よく見える明るい所を捜そうとしているのではないでしょうか。これでは素粒子論と同じく新しい発見と進歩はないでしょう。


 「真の幸せ」は目に見える領域だけに制限されず、目に見えない領域にまで及ぶもの、この世の次元を越えてあの世まで続くものです。「真の幸せ」という鍵は、多くの人々がたむろする喧噪の中でなく、静けさと沈黙の中に、その鍵を捜し求め、誰でも安易に捜しあてられるようなものではなく、汗と苦労の中に見いだすものです。人々から受けることよりも、与えることの中に、愛されようと努めることよりも、すすんで人々を愛そうと努めることの中に見いだすものです。

 

私達の人生は、この鍵を捜し求める旅のようなものです。私たちの社会に真の幸せ、真の正義と平和に近づくことができますようにと新しい年に当たって、祈りましょう。

 

2021年12月27日月曜日

2022年2月の聖句

聖 句

 

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(新約聖書ペテロの手紙Ⅰ:57節)

                               

戸畑天使園 園長 江夏 國彦

  新年早々、新型コロナウイルスの感染爆発がおき、世界中で感染症の驚異に晒され、不安な日々が続いています。それでも子どもたちは嬉々として元気いっぱいに園庭を走り回っています。私たち大人も将来に希望を持って明るく生きてゆきたいと思っていても、毎年のように様々な困難や苦しみが襲いかかると今年も何か起こりそうな気がしてどうしても暗い思いにさせられます。しかし、私たちはコロナなどものともせずに、将来に向かって懸命に生きようとしていますし、そうあるべきだと多くの人は思っています。それでも、将来の不安はいつも付き纏います。


 ところが聖書に書かれている選民イスラエル(ヘブライ人)たちの生き方では過去を大切にします。過去は、確かな事実として人の目の前にあり、人の手の中にあります。調べることも、思い起こすこともできます。しかし、将来、不確かなもので、想像するしかありません。将来は彼らにとって、神を信頼して、神におまかせすべきものなのです。未来を顧みないのではなく、過去を見つめて、神がどれほど慈しみ深く導いたかを知ることで、神の愛をより深く信じるようになるからです。だから過去の出来事を思い、味わうのです。未来も神が導くという信頼こそが重要だと考えているのです。

 神の慈しみと導きを信じきれない私たちは、将来を予測することを求め、不安と恐れを取り除こうとつとめます。完全な予測は出来ないし、充分な備えができたとは言い切れません。いつも私たちの心には不安が付き纏うのです。いくら科学が発達しても、どんな調査と研究をしても、将来に対する不確かさは最後まで残ります。

 最善を尽くして人間の成すべき備えはしなければなりませんが、過去に、神のなされた業を咀嚼(そしゃく)し、そのことによって、神にゆだねる心、未来も神が導くと言う信頼も大切にしたいものです。


2021年12月1日水曜日

2021年12月の聖句

 聖 句

 

天使はマリアに答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(新約聖書 ルカ福音書135節)

                               戸畑天使園 園長  江夏 國彦

 

 クリスマスおめでとうございます。仏教に比べれば、日本でのキリスト教の歴史は短いですが、今ではクリスマスは日本の社会にすっかり溶け込んでいます。多くの家庭でクリスマスケーキやプレゼントを交換します。そして喜びの雰囲気に包まれます。

 

 1614年に徳川家康が禁教令を発布して以来、250年以上にわたって長崎県松浦郡の生月、外海、五島などでキリスト者たちは隠れキリシタンとして潜伏していました。迫害によって多くの殉教者も出しました。聖書さえ持つことが許されなかった彼らは、手作りの聖書「天地始之事」を著し、信仰の支えとしました。マリアが身ごもった事、そして男の子を出産した次第が書かれています。その中で、おとめ=びるしん、聖=さんた、マリア=丸屋、神の霊である聖霊=ちょうの御よそおい、と言い表しています。

 


 ところでアサギマダラという「渡り蝶」は、春になると北上して函館まで、秋になると南下して喜界島まで飛んでゆくことが知られています。この蝶の観察や調査研究が盛んに行われています。インターネットが発達した時代とあって、学者や専門家ばかりでなく素人や子供たちまでが参加して、今や調査のために日本全国にネットワークが出来上がっているそうです。しかし、体の小さい蝶が、どうして2000キロメートル以上も移動するのか、どのようにしてそれが可能なのかまだ解っていないのです。偏西風に乗って移動するのだろうと考えられています。

 

アサギマダラの蝶のように神の霊である聖霊は風に乗ってやってきて処女マリアの胎内に宿ったのでしょうか。隠れキリシタンが書き残した聖書、「天地始之事」では御降誕のことを「御身のなたる」といいました。その箇所も想像たくましく描かれています。馬屋でお生まれになったその日は大雪の降る寒い夜であったので、馬と牛が幼子の両側から息を「ハー、ハー」と吹きかけて暖めてくれたそうです。馬小屋を清め、赤飯を炊いて、生活のために大事な機織の道具まで薪として燃やし、産湯を沸かしたとあります。

 聖書の中では、聖霊は風や鳩の形にたとえられていますが、隠れキリシタンは蝶にたとえたのです。神の救いの御計画の神秘をこのようにイメージした隠れキリシタンたちの信仰は、正統信仰からすれば、逸脱した記事であっても、当時の迫害によって聖書を持つことが許されなかった中で、風土と生活様式に根ざした記事となりました。素朴で純粋に信仰に生きてきた彼らの信仰の逞しさを感じさせられます。処女マリアからお生まれになった幼子の「微笑み」が荒れすさんだ人々の心を和らげ、真の正義と平和、そして喜びがこの地上にもたらされますように。

 

2021年11月1日月曜日

2021年11月の聖句

 

聖 句


「あなた方はそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」(新約聖書 Ⅰペトロの手紙410節)


戸畑天使園 園長 江夏 國彦

  職員全員が8月にワクチン接種を終えたのを知ったとき安心感をおぼえました。そして先月の14日に、北九州市の新型コロナウイルス感染者数が206日ぶりにゼロになりました。今後どのように推移するかわかりませんが、全世界に猛威を奮っているこのウイルスの感染抑止にmRNAワクチンは大きな効果をあげていることは皆んなが認めるところです。

 

教会聖堂の右側外にあるルルドの聖母

RNAワクチンは、ハンガリー出身の科学者、カタリン・カリコ氏が開発したものです。多くの命がこのワクチンによって救われたと言われていますし、これからもそうであろうと思うとき、彼女の功績はノーベル賞に値するのではないでしょうか。彼女がこれほど素晴らしい成果をあげる事ができた要因の一つは、高校時代の恩師アルベルト・トート先生との師弟関係があると言われています。

 

カリコ氏の近所に住んでいたトート先生は、彼女が幼稚園児の頃からの知り合いであったとのことです。先生の証言によるとカリコ氏は幼児の頃からあらゆる生き物に興味を示し、夢中になって観察する子でした。小学生の時にはすでに生物学コンテストで優勝したのでした。彼女の才能を見抜いていたトート先生は、彼女が高校生時代、生物学に更に関心を深め、研究に没頭しているのを見て、ある偉大な学者に彼女を紹介する手紙を書きました。それは、セント・ジュルジ・アルベルト博士。ビタミンCを発見して、ノーベル生理学・医学賞を受賞。当時、アメリカで活躍していたハンガリー人です。彼に、この高校生たちの研究サークルをサポートしてくださいという願いの手紙を書いたのです。こうして世界的学者との交流が始まり、彼女の研究分野も広がっていったのです。彼女が学問の研究を進めてゆくうえで、数々の困難があったのですが、いつも彼女は恩師トート先生の助言を仰ぎ、導いて頂いたのです。ペンシルベニア大学客員教授となった現在も電話やメールで交流は続けられているとのことです。たびたびカリコ氏から出る言葉は「恩師を大切にしなければなりません」です。同時に彼女が幼いときから才能を見出し、才能を発揮できるように環境づくりと援助を惜しまなかったトート先生も素晴らしい方だと思います。

 

ところでトート先生のこと知るにつけ、考えるのは、イタリアの医者であり幼児教育学者であったマリア・モンテッソーリ氏です。彼女は子供をよく観察し、その発達段階に応じた教育をする方法論を提唱しました。発達段階に則って準備された環境の中で、選択と行動の自由を与えられた子供たちは、それぞれの最適な発達のために自発的に行動すると考えたのです。その考えの根底には、どんな子供も何かの才能が秘められている、たとえ障害を持った子であってもそうであるという信念です。その才能にいち早く気づくことが大切です。そのためによく観察する必要があります。子供の成長を願う親も幼児教育に携わる先生たちも、私たちは、カリコ氏とトート先生の師弟関係に学びたいものです。そして、見いだされた才能が、将来少しでも他の人々のためにもなるようにと願わずにおれません。

 

2021年10月1日金曜日

2021年10月の聖句

 

聖 句

「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」(新約聖書 ローマ人への手紙1133節)


                          

戸畑天使園 園長  江夏 國彦

 園で飼っている2匹の亀は、ずいぶん大きくなりました。皆さんの家でも動物を飼っている所は多いことでしょう。子どもたちは、色々な命に触れ、育てる体験を通してたくさんの事を学びます。面白い川柳を紹介します。「デジカメの エサはなんだと 孫に聞く」10数年前までは、フィルムを入れて撮影するアナログ式のカメラが多かったのに、現在ではデジカメ(スマホのデジタルカメラ)に置き換わって、フィルムは使わなくなりました。

 


それにしても現代社会のデジタル化の進みは早いですね。パソコンやスマホなど次々とデジタル製品が出てきて、時代について行けない人、置き去りにされそうで不安になっている人は多いと思います。コロナ禍は、デジタル化を更に加速させている気がします。世界で起きているこの現象に遅れを取るまいと政府は、先月1日、新しく「デジタル庁」を発足させました。デジタルトランスフォーメーション(デジタル変革)へと日本社会は進むことでしょう。これは、企業がビジネス環境を、デジタル技術を活用して、ビジネスモデルを変革、さらに組織、企業文化・風土を変革し、企業として安定した収益を得られるようにすること、ひいては豊かな社会にしようとすることです。

 

 あらゆることをデジタル化することで、便利で、快適な生活になりますが、同時に、システムの不具合による大規模災害、デジタル機器を用いた犯罪、予想もしていなかった人の心を蝕む社会現象など起きる可能性を孕んでいるのです。

 

とはいえ、科学の進歩は良いことですし、だれも便利で快適な生活の追求を止めることはできません。ますます激動化する現代社会を生きる私達は、本当に大切なものは何なのか、本当に幸せな生き方と人生とは何なのか、見極めることが必要なのです。目に見えるものは全て移ろいゆき、過ぎ去るのです。本当に大切なものは、目に見えないものです。どんなに科学が発達してデジタル化が進んでも、目に見えない真実のものを見失うことがあってはなりません。

 

2021年9月1日水曜日

2021年09月の聖句

聖 句

 

イエスは、重い皮膚病にかかった人に手を置かれてから「わたしは望む。清くなれ」と言われた。すると、たちまち重い皮膚病は消えた。(新約聖書ルカによる福音書512節)

                               戸畑天使園 園長  江夏 國彦

 米国でしばしば起きる人種差別事件、つい最近名古屋の入国管理局でおきたスリランカ人女性の事件、人権問題はどこの国にもいつの時代にも存在していました。私が司祭になって間もない頃知った人権問題は、群馬県の草津の栗生楽泉園というハンセン病の療養所であった話である。40年近く前のことであるが、その施設内にあるカトリック草津教会に毎月1回ミサを捧げるために渋川という所から出かけていた時代があった。そこで出会った桜井哲夫というハンセン病患者は詩人であった。青森県北津軽郡に生まれた彼は、15歳の時に発病して入園させられた。その後、長い年月の間に次第に病状は悪化し、両眼、髪の毛、鼻、両耳、両手足の指、すべてを失った。若い頃、療養所の患者と結婚し、子供を授かったが、妊娠6か月で強制的に堕胎させられ、胎児はホルマリン漬けにされて施設内にある狭い標本室の棚に置かれた。


 60歳を過ぎてカトリックの洗礼を受けられ時、知ったことは「桜井哲夫」という名前は、栗生楽泉園に入園したときに付けられた名前であった。当時は、ハンセン病にかかると戸籍を抜かれて家族からも見放され、名前も変えられるという差別を受けたのです。詩人、桜井氏は差別と病の苦しみを乗り越えて、辿り着いた境地、信仰の世界から、自分の若かりし頃の悲しい出来事を淡々と綴った一つの詩を紹介します。詩に出てくる「曼荼羅」とは、密教や仏教で悟りの境地を絵柄で表したものを言います。聖句の中の「重い皮膚病」は、ハンセン病と同じような症状が出る大変恐れられた病です。

 

「真理子曼陀羅」

真理子が泣いています。狭い棚の上で。

真理子は療養所夫婦の間に生まれたから六ケ月目に手術を受け、標本室の棚の上に置かれました。

二十六歳で真理子の母は死にました。

盲目の父がいまも歌う子守唄はかすれてこの子には聞こえない。

お腹が空いたと真理子は泣きます。

怖いと言って真理子は泣きます。

詩集「津軽の子守唄」を手にした保母さんが子守唄を歌ってくれました。

 

若い看護婦はおっばいを沢山呑ませてくれました。

真理子は泣き止みました。

津軽の子守唄を歌う空には、菩提の華、朝鮮朝顔曼陀羅の華が開きました。

赤い林檎を手にした真理子は笑っています。開いた曼陀羅の傍らで。

笑った真理子は曼陀羅。 空に開いた曼陀羅。

真理子曼陀羅。 真理子曼陀羅。 真理子曼陀羅。

(詩集「ぎんよう」桜井哲夫 著より)


2021年7月1日木曜日

2021年07月の聖句

お知らせ

8月の「聖句」はお休みです。

9月から再開します。 

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聖 句


「初めに、神は天地を創造された。」(旧約聖書 創世記11節)


戸畑天使園 園長  江夏 國彦

 

 今年の夏は、例年より暑く、しかも雨の多い日が続くとの予報です。しかし、子どもたちは天気に関係なく元気に園庭をはしゃぎまわっています。

  夏になると園では、園外保育、家族では、海や山に出かけることが多くなり、たくさんの生き物の命に触れる機会があるでしょう。子どもたちは、どんな生き物の命も新鮮で、興味津々といった目で見つめます。その目、その心を大切にして欲しいです。不思議に思う心こそ、科学的な心の基礎だからです。一緒になって、観察道具や図鑑など使って調べましょう。それだけでも、もう立派な科学者です。しかし、調べて解った事で満足するのではなく、まだわからないことが一杯あることも伝えましょう。自然の奥深さを知れば知るほど、偉大な科学者たちも「人間は、自然について知らないということを知るようになる」と述懐しています。

夏の夜空の星を眺めて、感動するのもいいでしょう。果てしなく広がる宇宙空間と星を眺める時、その神秘さを感じ取りたいものです。今日の天文学者たちは「宇宙に果てはあるのか、否か」という問いに、万民が納得できる答えは見いだせていないといいます。子どもたちでさえ抱く、昔からある単純な疑問にも人間は答えられないのが現実です。人間の知恵と能力は、自然の前に何とちっぽけなものか思い知らされます。

夾竹桃

 科学が発達して、いろいろなことが解ってきても、汲めども尽きぬ奥深さを知るにつけ、自然を超える世界へと飛躍するのか、否かが問われるのです。自然を超える知性と力を感じ取り、一旦、自然の領域を飛躍して「神が、万物を創造された」と認めるに至った時、自然界は神の芸術作品として見ることでしょう。もはや偶然にこの素晴らしい世界ができたとは考えられないという思いは、神の存在を、より確かなものとして受け止めるのではないでしょうか。そして人間も神によって創られた者、神の子であるという思いで子供を育てる時、子どもの命がどれほど尊く見えてくることでしょう。神の最高傑作の被造物を与えられている恵みに感謝する心と責任感が湧くではないでしょうか。今年の夏休みも、家族と共に過ごす、思い出多い夏になりますように。